トラステ賞 | もしも君が迷ったなら

もしも君が迷ったなら

思いついた言葉を詩に。思いついたストーリーを小説に。

~Daydream~



また憂鬱な朝がやってくる。亜由美は窓越しに太陽を睨み付けた。
生きている価値なんてあるんだろうか?
夢さえも見つからない。平凡な自分。

 

亜由美は服を着替え、洗面所に行き、顔を洗う。クシで荒く髪をとき、ポニーテールを作る。普通大学生にもなれば、化粧の一つくらいはするだろうが、亜由美は今まで化粧なんてしたことがなかった。興味がない訳じゃない。ただどうしたらいいのかよく分からない。
支度を整えると亜由美は荷物をつかんで家を出た。

 

大学までは電車で1時間弱。亜由美は電車に乗り込むと、ウォークマンのイヤホンを耳に押し込んだ。再生ボタンを押す。流れてくる音楽はハードロック。むしゃくしゃする想いを自分の代わりに叫んでくれている気がして、最近はこればかりを聴いている。だけど心が満たされない。空しい。何をやっていても楽しくない。流れる景色を見ながら溜息を吐く。

 

駅から大学までは徒歩十分。同じ場所へと流れる人の群れが現れる。この波に飲まれながら、流れに乗って大学へ向かう。
大学に入ってもうすぐ1ヶ月が経とうとしていた。だけど何をしたいのか、未だに自分でもよく分からない。したいことなんて見つからない。

 

その日も溜息を吐きながら、電車を降りた。駅を出ると、不意に音楽が聞こえた。顔を上げ、音がした方へ顔を向ける。そこにはストリートミュージシャンがいた。
最近増えてきたなぁと辺りを見回すと、他にも数組が演奏していた。ふとある一組のストリートミュージシャンに目が止まった。仲間とワイワイ言いながらギターをかき鳴らしていた。どうやら今日初めて路上で演奏するようだ。妙に緊張している一人が、ギターを抱え直して歌い始めた。歌は・・正直下手くそだった。だけど妙に応援したくなった。誰も止まって聞こうとしないその音楽に亜由美は足を止めた。少し距離を置いて彼を見守った。羨ましかったからかもしれない。彼らは本当に楽しそうに演奏していた。どうやったら、彼らみたいに夢を追いかけられるのだろう。

 

夕食の時間が終わり、入浴を済ますと、亜由美はさっさと自分の部屋に戻った。家族が嫌いな訳じゃない。一人になりたかった。亜由美は窓際にあるベッドに座り、窓の外を眺めていた。漆黒の闇が夜空を覆い、明かりを灯すように星が瞬いていた。亜由美はこの時間が好きだった。誰にも干渉されずに過ごせる。
ずっと考えている問題の答えは、全く出てこない。何がしたいのか分からない。どうすればいいのかすら、全く分からない。孤独になるほど不安は大きくなった。
亜由美は必ず訪れる明日に恐怖を覚えながら、布団に潜り込んだ。

 
あれからいつの間にか一週間が経っていた。週一であのストリートミュージシャンは路上に出てくるようだ。亜由美は彼らに興味を持っていた。なぜあんなに楽しそうに笑えるのだろう?

亜由美はいつしか彼らの音楽を聴くことが習慣になっていた。もっと聞いていたい。いつも聞いているハードロックはもう聞かなくなっていた。下手だけど、彼らの曲の方が自分の心を少しずつ満たしてくれている気がした。

 

彼らは日を増すごとに明るくなっていた。曲数も増えて、いろんな曲をセッションするのが本当に楽しそうだった。そんな彼らを見ているだけで、亜由美の心もほんの少しだけど落ち着いた。彼らの歌声に引き寄せられて少しずつ足を止める人も増えていた。亜由美は何だか自分の方が嬉しくなっていた。

 

そろそろ夏になろうとしていたある時期。課題を与えられた。課題だけならいいのだが、グループを教授が勝手に組み、そのグループで課題をこなさなければいけなかった。男女混合四人のグループ。亜由美は正直乗り気ではなかった。大体、課題ぐらい一人でやった方が早いじゃないか。グループ分けされた亜由美は不本意に思いながらもグループの仲間たちに短く挨拶をした。他のメンバーも短く挨拶を済ませた。どうやら亜由美以外はすっかり仲良しのようだ。別にそれでもよかった。関わって欲しくもなかったし、関わりたくもなかった。彼らと関わるのは、課題を終わらせなければいけないからだ。そんなことを考えていると、メンバーの一人が勝手に話を進めていた。
「携帯番号交換しようぜ。」
その一言で全員が携帯を取り出した。亜由美もとりあえず携帯を取り出した。あまり使わないが、親に持たされている。携帯番号を交換し合ったメンバーは、計画を立てることにした。この課題は夏休み中を利用して行うものだった。だが亜由美にとって“仲間”と共に課題を進めなければいけないことがとても憂鬱だった。人付き合いはあまり得意ではない。そんな亜由美にとって、このメンバーと上手くやれるのかとても不安だった。亜由美の居場所はないように感じた。

 

いつもより重い足取りで電車を降りる。本当にやって行けるんだろうか?不安が渦巻く。たった一つの救いは、今日は彼らの演奏が聴けることだけだった。彼らの歌は何だか一週間の疲れをリセットしてくれるようで、心地がよかった。
ふと亜由美は気づいた。いつも率先して歌っている一人が今日は歌っていない。ギターを弾いているだけだった。何かあったのだろうか。落ち込んでいるような、辛いような顔をしている。その日のライブで、彼が歌うことはなかった。

 

「大森さん?」
声をかけられ顔を上げると、背の高い男性が立っていた。確かメンバーの・・・。
「やっぱり。ここで何してるの?」
名前が思い出せないが、話しかけられたのでとりあえず答える。
「あ・・そこのストリートミュージシャンの歌を聞いてたの・・。」
目を合わせられないまま俯きながら言うと、彼は「そうなんだ。」と人懐こく笑った。
「大森さんも地元ここだったんだね?」
名前を必死に思い出しながら頷く。名前を覚えるのが苦手な亜由美は必死に記憶を探った。
「俺もここなんだ。偶然だね。」
「そうね・・。」
短く答える。気づくと顔を覗き込まれていた。驚きのあまり一歩後ずさる。
「な、何?」
「いやぁ、何で目見て話さないのかなって・・。」
少し悲しそうな声だったのが、何となく分かった。
「慣れて・・ないから。人と上手く・・話せないから。」
「何だ、そうなんだ。」
亜由美の答えにホッとした様子で笑った。
「俺、嫌われてるのかと思った。」
「そんなこと・・・。」
その答えに彼は無邪気に微笑みかけてくれた。
「大森さん帰る方向どっち?」
亜由美は指で方向を示した。
「俺もなんだ。一緒に帰ろう?」
彼はゆっくりと亜由美が指差した方向に歩き出した。亜由美も少し遅れて歩き出す。
「大森さんって、下の名前何だっけ?」
「亜由美・・。」
「亜由美ちゃんかぁ。かわいいじゃん。」
生まれて初めてそんな事を言われたので、亜由美はボンッと赤くなった。
「あはは。余計かわいい。」
悪びれもなくそう言う。からかわれているんだろうか?
「俺は町田智之って平凡な名前だしなぁ。」
聞くか聞かないでおくか悩んでいたのに、あっさりと名前を言ってくれたので、亜由美はホッとした。町田智之。町田智之。町田智之。連呼して覚える。せめてメンバーの名前ぐらい覚えておかなきゃ流石にまずいだろうな。
「あ、俺のことはトモでいいからね。他のやつらもそう呼んでるし。」
智之の言葉に亜由美は頷いた。かと言って、名前でなんて呼べるだろうか。
「亜由美ちゃんさ、グループでは他の三人仲いいなぁとか思ってるっしょ?」
思わぬ言葉に驚く。何で分かったんだろう。顔にでも書いてあったんだろうか?亜由美は頷いた。
「やっぱりね。でも当たり前なんだよね。あいつらとは、中学の同級生だから。」
「そうなんだ?」
「うんうん。高校のときはバラバラになっちゃったんだけどね。親の転勤で隣の町に移ったりしてさ。」
「へぇ。」
「だから大学で一緒になったときはびっくり。グループ分けで更に一緒になってびっくり。」
オーバーリアクションで話す智之に亜由美は思わずくすっと笑った。
「お?亜由美ちゃん。笑った方がかわいいよ。」
照れもせずにそんな台詞を言う智之にこっちが恥ずかしくなる。
「あ・・あたし、こっちだから。」
「そっか。送るよ?」
「いいよ。近いから。」
「そお?じゃあ、また明日ね?亜由美ちゃん。」
「うん。」
バイバイと手を振る智之につられ、少しだけ手を上げてバイバイをする。

 

智之と離れた亜由美は一目散に家に向かって走った。家に駆け込むと、二階の自室まで駆け上がり、部屋に入って、背中でドアを閉めた。その途端、全身の力が抜け、床にペタンと座り込んだ。
「何・・あれ・・・。」
今までこんなこと、なかった。どう対処したらいいか、分からない。
「亜由美?帰ってるの?ご飯は?」
ドアの向こうで母の声が聞こえた。
「いらない・・。」
それだけ言って、亜由美はようやく立ち上がり、ベッドに力なく倒れた。

 

翌日。学校に行くと、智之が話し掛けてきた。他のメンバーも一緒にいる。
「亜由美ちゃん、一回きりじゃ名前覚えてないだろ?」
智之は二人を改めて紹介した。
「このいっつもキャップかぶってるのが、川田昭弘。アッキーって呼んでやって。」
「おい!お前そんな呼び方したことなかっただろ!」
何だか恥ずかしいあだ名に昭弘が怒鳴る。
「いいじゃん。かわいくて。」
「そういう問題じゃねぇ。」
「アッキー♪」
女の子がププッと笑いながら、楽しそうに呼ぶ。
「てめぇ・・。」
そのやり取りに亜由美は思わず笑みが漏れる。
「んで、こっちが蓮井典子。ノリノリ典ちゃんって呼んでやってね。」
「長いな、おい。」
典子が思わず突っ込んだ。
「典子でいいよ。亜由美ちゃん。」
楽しい3人に亜由美は頷いた。

 

それからしばらくストリートミュージシャンのあの彼は全く歌わなくなっていた。歌うことをやめてしまったんだろうか?何だか信じられない。あんなに楽しく歌っていた彼でも、何か悩みを抱えているんだろうか。
最近初めて友達と呼べる人たちが周りに居るからか、亜由美は彼とは逆に毎日が楽しくなっていた。
しかし歌わないのに必ず参加している彼を、亜由美は不思議に思っていた。楽しくなさそうなのに、どうしてギターを弾いているんだろう?嫌ならやめればいいのに・・・。そうはいかないのだろうか?

 

だが、いつからか彼は再び少しずつ歌うようになっていた。何がどう変わったんだろう?だけど亜由美はホッとした。また彼の歌を聞けることが嬉しかった。少しずつ彼が歌う曲が増えていった。新しい曲も確実に増えている。少し前の彼が嘘のように、楽しそうに音楽を奏でている。
しかもある時から週一から毎日一人で路上に出てくるようになった。一人でも他のストリートミュージシャンに負けないほどの声量で歌を歌っていた。それが、亜由美にとって今までにない勇気をくれていた。

 

その日も課題をこなすために亜由美は学校に来た。今日は午後から課題を一緒にすることになっている。しかし教室から漏れる声に一瞬立ち止まる。
「大森ってさぁ、笑うとかわいいよな?」
誰が言っているのか分からないが、亜由美と話したことのない男子生徒だと気づく。
「暗い感じしてたけど、そうでもないみたいだし。」
段々教室に入りづらくなる。
「でも大森はトモが狙ってるからダメだってぇ。」
この声は昭弘だ。何を言っているのだろう。
「なっ!ちっ、違うよ。」
慌てて否定する智之に、何故かチクッと胸が痛んだ。
「俺、別に亜由美のことなんて・・好きじゃねぇよ。」
その言葉に亜由美は呆然とした。何がそんなにショックなのか自分でもよく分からないが、亜由美は来た道を戻ろうとした。その時、誰かにぶつかりそうになる。
「うわっ。びっくりした。どしたの?亜由美。」
「典ちゃ・・。」
声にならない。今にも泣き出しそうな亜由美に、典子が気づく。亜由美は典子の隣をすり抜けて、走っていってしまった。
怪訝に思った典子は、教室のドアを思い切り開けた。智之や昭弘たちが談笑していたのがその音に驚いて止まっている。
「典子?何怖い顔してんだよ。」
「あんたたち、さっき何の話してたの?」
昭弘の言葉を無視するように質問する。
「へ?」
「今何の話してたのかって聞いてんのよ!」
「何怒ってんだよ。」
「亜由美が泣きそうな顔でどっか行っちゃったのよ!」
「え?」

 

亜由美はいつの間にか地元の駅を降りていた。行くあてもなくフラフラしていると、ギターを抱えてあの彼がやってきた。時計を見ると、いつものライブの時間だった。亜由美はいつもの定位置で彼の歌を聴いた。
彼の歌は何故か恋愛の歌が多かった。恋なんてまともにした事はないが、暖かく優しい曲が亜由美の心を少しずつ癒していた。
知らぬ間に涙が落ちる。どうして泣いてるんだろう?どうして智之の言葉に傷ついたんだろう?何か勘違いをしていたのかもしれない。暖かいあのメンバーの一員になれた気がしていた。でもそれは単なる勘違いで、居場所なんてなかったんだ。
彼の歌を聴きながら、亜由美は初めて泣いた。今まで冷え切ってたから、涙の一滴すら出なかった。でも暖かい彼らに触れていたから、凍った心が溶け出したんだ。だから涙が出るんだ。暖かい彼の歌に余計涙を流してしまった。

 

家に帰った亜由美は何もする気が起こらず、ベッドに寝転がっていた。
「亜由美、お客さんよ。」
母の言葉に玄関に行くと、智之と典子と昭弘がいた。
「な・・んで・・。」
「先生に住所教えてもらったの。携帯、電源切ってたから。」
典子が説明する。そういえば電車に乗る時に携帯の電源を切ったままだった。
「亜由美、こいつらに聞いたよ。何話してたか。最低よね。」
典子は亜由美の手を握った。暖かいその手に亜由美は泣き出しそうになる。
「・・初めて・・出来た友達だったから・・仲良くしてくれて、すごく嬉かったの。だけど・・勘違いだったみたいだね。」
典子は泣き出した亜由美を抱き寄せた。
「男って馬鹿よね。思ってることと逆のこと言っちゃうんだもん。」
「え?」
「白状しちゃいなよ。トモ。」
「あ・・えっと・・。」
「はっきりしなさい!」
典子に一喝され、昭弘に背中を押される。
「俺、ホントは亜由美のことが好きなんだっ!」
「え?」
突然のことに驚いて言葉が出ない。
「あの時、何か恥ずかしくて・・つい・・。亜由美を傷つけるつもりはなかったんだ。ごめん。」
素直に謝られ、亜由美の涙は止まった。ただ驚きの余り、どう返していいのか分からない。
「亜由美、ちゃんと返事したげて?」
「あ・・えっと・・。あたしも好き・・なのかな?」
「聞かれても。」
亜由美の返事に智之がずっこける。
「あはは。どっちにしてもいいコンビだわ。」
典子は屈託なく笑った。

 

 

将来の夢はまだ決まっていない。だけど何となく見つけられそうな気がする。

一人でうずくまっていたあの頃の自分はもう居ない。傍には初めてできた友達がいて、隣には初めてできた彼氏がいる。

 

 
とりあえず当面の夢は【彼氏と手を繋いで花火大会に行く】ことにしておこう。